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2次元感想ブログ

9割エロゲについて思ったことを書く薄っぺらい感想ブログです。

はねバド!13の感想

  はねバド!13を読んだので感想を。

以下ネタバレ注意

 

 

 

 

 

 

 

 一つの歴史が終わったな……と感じた。

 なぎさとコニーの試合。天才と凡才の試合。そんな内容。そもそもはねバド!って「はねバド! The Badminton play of Ayano Hanesaki!」って題名で、綾乃が主人公つまり天才がメインの物語なんだよね。はねバド!読んでると毎回なぎさのほうに感情移入しちゃうし、実際読み手の大半が凡才だからなぎさの方に感情移入しちゃうのは仕方ないんだと思う。

 でもはねバド!って天才の成長過程を描くちょっとめずらしい(少なくとも僕はめずらしいって思ってる)漫画で、今巻はこれまで以上にそれを感じた。今巻のメインはコニーだ。

 凡才が努力して天才に打ち勝つってのはよくあるパターンで、そのたび毎回思うのが、なんで天才って驕るの?なんだけど、今巻は驕っていたコニーが限界を超えたいって思うところで一つ成長したんだよね。限界を超えるってのは、100%からさらにその先120%を出すって意味で、それは地獄に踏み入れた足からさらにずぶずぶ身体をしずめていくってことを作品内で言っていたんだろうな。

 今までのコニーは美しい天才で、美しさに固着していた。ヴィゴが言ってた一言が自分にはすごく印象に残ってて、

 

子供じみた天才性ではなく、現実の残酷さを身に纏うのです…!!

 

 この言葉すごく的を射ているとおもうんだよね。個人的見解としては、子供じみた天才性っていうのは美しく勝とうとするコニーの気持ち。無邪気とか幼稚とかそんな意味もあるんじゃないかと思ってる。

 

私が苦しくなる手前で――…不思議だけど相手が緩めてくれる

 

 将棋って、負けたって分かるとき敗者は美しく負けようと手を尽くすらしいし、実際プロの世界では見ている人のことも考えたプレイをしなくちゃいけないんだと思う。イメージっていうのがあるから。コニーもプロの世界で活躍していたから身に沁みついていたんだと思う。でもここはIH。全力と全力のぶつかり合い。美しさを求めるコニーにとってIHでは周りとズレが生じるんだよね。野球で、プロ野球より高校野球のほうが面白いっていう人は(僕もその一人)はあの泥臭さというか、安い言葉でいうところの青春に魅かれているんだと思う。ちょっと話ずれるけど最近の青春=恋みたいな風潮嫌いだわ。あれって絶対実写化してる映画の影響だよね。昔は絶対青春=スポーツだったもん。間違いない。ちなみに僕大学生。おもいきり映画のターゲット(笑)

 で、話を戻すと、現実の残酷さってそういうところなんだろうね。相手は負けてくれないとか、逆転があるとか、つまりは美しさは求めていないってこと。コニーが私を苦しめてって言う時点でもう美しくないしね。いや、美しいんだけどちょっと違うというか。つまり優雅じゃないみたいな?

 こんなこと当然なんだよね。言わせてもらえば、舐めるなみたいな。試合っていうのは神聖なもので手を抜くものじゃないんだよ、ほんとは。双方が拳一つで殴り合って、殴り合いを制した者が勝つんだよ。そこに武器を持ちだしたらそもそもが破綻するんだよ。ちょっと例え悪いけど。

 

こんなに… こんなに 楽しかったのに 途中で終わりにしないで……

 

この言葉はだからコニーの成長が込められた一言だよね。しかも泣きながら言ってるから多分相当。この言葉には、もっと成長したいっていう飽くなき欲だけなのか、それとも別の……もっとなぎさと試合がしたかったのか。まあ絶対後者だけど。だって楽しかったって言ってるし。

 

 以上で13巻の感想でした。最後に、立花かっこいいな。あの決断には拍手を贈りたい(何様)あとなぎさと絶対結ばれるだろ。フラグ立ちすぎ。羨ましい、僕もあんな強気な巨乳に言い寄られ(ry