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2次元感想ブログ

9割エロゲについて思ったことを書く薄っぺらい感想ブログです。

隣の家の少女 感想(ジャック・ケッチャム著)

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 隣の家の少女、読み終わって自分の中で整理もできたのでつらつら感想書いていきます。

 

 

 

 

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

 

 

 この本に幸せはないです。不幸を煮詰めて、どろどろに溶かして、それを数回繰り返したものを本の形にしたようなものですね。帯のコメントはだからとても的を射ていると思う。一番の不幸、つまり最悪って永続的にそれが続くことなんだと感じた。それは呪いのように。

 この小説で一番恐ろしいことは、メグが虐待される場面でもルースの変貌ぶり、周りの子供たちの無邪気で残酷なところでもなくて、思わず不気味な笑みを浮かべてしまうくらい手に取るくらいに分かるデイヴィッドの心情だと思う。

 隣の家に女の子が引っ越してきて、その子と偶然川で会って、絵なんかも貰って、そんな女の子と特別な関係になりたいし、その子の裸体にも追随して興味は沸く。思えば、好意と性欲の切っても切れない関係がこの歪んだ事件を引き起こしたのかもしれない。

 僕がすごい良く分かるところが、デイヴィッドが他の男の子と違う良いところをメグに見せようとするところ。でもそれと同時にメグの裸に興味があるから、結局他の男の子と同じくなるところ。でもそれがメグ本人にバレたくないから他の男の子のせいにしたりして誤魔化すところ。痛い程よくわかる。

 この小説全体を通じて一番変わったのは間違いなくデイヴィッドだと思う。最終的にはあのルースを階段から突き飛ばし、ざまあみろなんて思うわけだから。

 

 最近触れた作品でよく思うのは、子供からした大人はどうなのかってこと。ある作品では大人なしでは子供は生きることができない子供の無力さを思ったり、またある作品では逆に子供の力強さを知ったりしたんだけど、今回知ったのは子供と大人の両方の無力さ。人間の数だけ様々な組み合わせがあるけど、今回は最悪の組み合わせ。ここで言う無力ってのは力がないという意味じゃなくて、正義的な力がないという意味だけど。負の方向ならルースは魔王だし。

 本来なら大人が子供を正しい方向に導く、または無力な大人を見て反面教師みたく子供が正しく成長する。しかし、無力な大人が無力な子供を導くから今回のような悲劇は起こってしまったのだと思う。それは、子供の悪戯心の火薬のように。

 

 僕はこういう後味の悪い小説はむしろ好んで読む派だけど、嫌いな人はとことん嫌いだと思う。ていうか、このような内容が好きなんてことは決して褒められるものじゃないし、誇るものでもない。慎ましく、恥ずかしく、常に自分が最低なクズ野郎だという認識を持って生きましょうね(笑)

 

 この本を読み終わったあと、もし自分がデイヴィッドと同じ立場に立ったらどっちに付くのか考えるのも面白い。僕はメグとHしたいけどメグの嫌がるところは見たくない、いやメグが嫌がっているところを見たくない知りたくないって自己保身からデイヴィッドと同じ立場につくと思う。自分は苦しまずメグで気持ちよくなりたい、身もふたもない言い方をすれば、メグでオナニーがしたいってことだと思う。うわー、人として最低なんて思うけどでもその真っ直ぐなデイヴィッドの欲はよくわかるというわけ。

 

 

 ぼちぼち一般小説の感想もあげていきたいなって思います。完全な自己満足ですが。何か僕の趣味にあいそうな後味の悪い小説でおすすめがあればコメントくれたりすると嬉しいです。それでは。