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2次元感想ブログ

9割エロゲについて思ったことを書く薄っぺらい感想ブログです。

MUSICUS 感想(OVERDRIVE)

 キラキラはバンドを通した物語、MUSICUSは音楽を通した物語。発売月にプレイして書いた感想ですが、当時は投稿できなかったのを3年越しに供養。

 僕はこのCFのパトロンだったので、100を超える活動日誌を全部読んでいました。そこでは、リアルさを出すために簡単な曲から徐々に難しいメロディの曲にしていったりとか、全国のバンドステージを巡ったりとか書かれていました。そりゃテンションはHighになり凄く楽しみになり、自然とハードルは劇上がりしましたけど、プレイしててそこらへんのこだわりは感じなかったんですよね。他にもゲームには直接使ってない音源もアルバムに入れるとか言ってたけどそれは何の曲だったのだろうか、まさかDr.Flowerじゃない歌手のこと指してるのとか色々愚痴はありますが、はい、CFの愚痴終わり。

 正直、澄ルート以外はあんまり面白くなかったんですよね。僕は何故か最初に辿り着いたルートが澄ルートだったので、他のルートに凄く違和感を抱いていました。これが原因で楽しめなかったのではという疑惑はあります。澄ルートで対馬馨の本質に触れてしまったら、もう他のルートはダメになっちゃう気がします。僕は、MUSICUSを大分前にクリアしていたんですが全く感想が書けなかったんですよね、これは三日月ルートがどうしても僕の中で腑に落ちなかったからなんですけど、なるほど、澄ルートを最初にやったことが原因なのかな。

 以下各ルート毎に感想羅列。

  弥子ルート

 一番気になるのは、やっこちゃん破瓜血無かったことです。初めては馨とだよね、まさかお父さんに奪われてたりしないよね。僕少し心配です。

 正直話の内容は面白くなかったんですよね。ただ、澄ルートの馨と比較して読むと心理描写に関しては面白かったですね。三日月・めぐる・弥子ルートはそれぞれあり得た未来であるんですが、どれも根には澄ルートがあると思うんです。澄ルートと比較してあり得たかもしれない未来って立ち位置だと僕は思いました。

 弥子ルートプレイ後に思ったのは、このルートが一番浮いてるなってことなんです。普通に考えたら、夏休みにバンド活動少しやってその後は学校に通って受験をする。これが普通です。普通バンド界に身を投じたりしません。ましてや、頭が良くて医者になるつもりの人がバンド界に飛び込むのは普通あり得ません。だから、弥子ルートが普通なはずなんです。なのに浮いてる。これは、馨自身が何度も自問自答しているからだと思います。凄く未練があるんですよ。このルートはさらに、周りも皆馨がバンド活動するのに否定していないんですよ。つまり、馨がバンドに専念するってただそれだけでバンド界に飛び込めるわけなんですよね。なのに自分自身がそれを律しています。やりたいことを押し殺している様はまるで僕たちみたいな若者に凄く似ているなって思いました。分かるんです、僕だったら絶対バンドやらずにコツコツ勉強して普通に大学入ります。ここが前作キラキラと大きく決別したところかなって思います。弥子ルートはそういう意味ではキラキラと同じ展開を歩みます。それが浮いてるんですよね。

  めぐるルート

 めぐるも処女じゃなかったですね。まあ、そんな気がしていましたが。

 めぐるルートも話の展開自体はあまり面白くなかったですね。

 めぐるルートは音楽で人を救うという音楽の可能性を描いたルートだと思いました。これは澄ルートと比べると皮肉かって思いましたね。片は音楽で人を殺し、方は音楽で人を救うんですから。

 あの爺さんは音楽に人生を捧げて、音楽以外を裏切ってきた人なんですね。あれって馨にもあり得る将来ですよね。僕はプレイ中、あの爺さんは果たしてその選択で幸せだったのかなってずっと考えていました。どうなんですかね、死にかけの状態の時、家族に会いたいって言ってましたし、やっぱり後悔しているんですかね。きっと、ミュージシャンってのは皆ミュージシャンになったことを後悔していると僕は思います。それでも辞められないんでしょうね。麻薬みたいなものだと思います。音楽に取りつかれてしまったが最後、骨の髄まで音楽に搾り取られてしまうような気がします。そう考えると、弥子ルートの主人公はとても幸せですね。

 馨が見た恐ろしい夢。死んだ魂が積もっていくやつ。あれ、恐ろしいですよね。ミュージシャンでも、社会人でも、結局死んだら皆最後はああなってしまうっての暗示だと思いました。それに、進んでも進んでも前に進むことはない。馨が人生を投げうってまで探そうとしていた”音楽”をまるっきり否定しているように思えました。答えは無いって。これは三日月ルートでも書かれてましたね。馨はごちゃごちゃ考えすぎなんだって。それを花井さんが言うのはなんの皮肉だとは思いましたが。

  三日月ルート

 とんとん拍子で物事が進んであまり面白くなかった! でも話の随所に考えさせられることがあって夢中で読んでましたね。

 このルートはとんとん拍子でバンドが売れていったのが面白くなかった要因なのかなと思いました。ただ、このルートの怖いところは売れ始めたのがいわゆるインフルエンサーを利用し始めたってところだと思います。このルートでは、馨は音楽を売るという選択肢を選んだ結果大成功したと捉えることができると思います。これまで散々追及してきた音楽について最後このルートでは放り投げたように感じます。そして結果売れた。……怖くないですか? 三日月もそれに気づき一時期病んでいましたよね。なんのために音楽活動をやっているのかって。そしてその解、あるいは対処法、逃れ方と言った方が正しいかもしれませんがそれも述べていました。誰かのために歌う。そうすれば余計なことは考えないで済むと。そしてそれが愛だと。誰かに伝える愛のために歌う。つまり愛が一種のストレスの捌け口として利用するということ。瀬戸口廉也は、MUSICAは愛にまつわる物語だと、インタビューで述べていました。その答え、彼なりの解釈がそれならこれはものすごい皮肉じゃありませんか?

 これは完全に僕の感想なんですけど、本来こういうのを書くべきだと思うんですけど、それをここに書きますね。三日月が死ぬのが怖い、まだ死にたくないって言ってたの、これってすごく幸せなことだと思いました。僕も中学の頃は夜寝る前に死ぬことについて独り考えてブルブル震えながら寝たものです。あの頃はまだ見ぬ未来について知る前に死んじゃうのが怖かったからだと思います。三日月も同じ気持ちなのかは分かりませんが僕はそう思っていました。高校の頃は不思議とそれについて考えることも無くなりました。そして大学では別にいつ死んでもいいやって思うようになりました。この先あとは労働だけで正直未来に希望が持てず、別に将来について関心が持てなくなってきたからだと思います。別に死にたいわけではないですが死んでもまあいいやって思えるのです。三日月はそんな僕とは違うんですよね。まだ将来に希望を持っている。だからまだ死にたくない。はっきり言って僕からしたらとても羨ましいです。はい終わり。

  澄ルート

 一番好きなルートです。僕が求めていたルートでもあります。だから熱中して夢中でプレイしていました。

 このルート、ほかのルートでも感じていましたがそれ以上に対馬馨が瀬戸口廉也と重なって見えました。彼は普段こんなふうに作品を生み出しているのかと思ったらとても恐ろしくなりました。

 このルートに入る決定的な選択肢は三日月を歌手デビューさせることだと思います。書いてて思い出しましたが、きらりもそういえば歌手デビューしましたね。今思えばきらりってほんとに強いですよね。三日月の良さをもっと世間に知ってもらいたい、それならこのバンドにいるべきではないと三日月を送り出した馨は花井さんとどこか重なるなって思いました。

 なんのために音楽を作っているのか、そうやって問われたら僕を含む大抵の人間は答えることが出来ないと思います、なぜなら実際に音楽を作ったことがないから。同様にして物語についても同じことが言えると思います。だからこのルートをやってまだ軽傷で済むことができたと個人的には思います。もしこれが作り手、制作側の人間が読んだとしたら、怖いですよ。怖い。なんとなく触れてはいけないことにこのルートは真っ向から向かっていると思いました。つまりこのルートは自分のために音楽を作っているということ。人に聞かすつもりがなく自己の満足のために曲を紡いでいるということ。そして、そんな曲を好きだと言ってくれた人をその曲で死に追いやったということ。音楽って結局何なんでしょうね。

 すべてを注いだ結果、音楽に絶望するなんて音楽って何なのか。馨は結局音を楽しめていなかったからそうなってしまったのかもしれません。僕は、音楽の神様なんてそもそもいないと思いますし、もし音楽の神様がいるとしたらそれは音楽を聴く人全員だと思います。